水族館好きの水族館ブログ

めざせ!全国制覇!日本全国まったり水族館巡り

JAMSTECの若手人材育成プロジェクトを見て思ったこと〜有人潜水船を水族館に置き換えて考えみた〜

今回は

www.jamstec.go.jp

 

www.nhk-ondemand.jp

 

こちらの2つを見て衝動的に水族館について書いています。

なんで潜水艦が水族館の話になるんだ!って感じですが、筆者は水族館バカなので許してください。

ちなみに上のレポートは読み物として非常に面白く、貴重な体験が綴られているのでそれだけでもぜひ読んでみてください。

 

 

では早速本題へ

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新江ノ島水族館に展示されている「しんかい2000」

 

「サイエンスだけを考えるなら有人潜水船はどうしても必要なものではないけど、必要なものだけを残すと人間社会は良くなくて、必要じゃないものの必要性を感じる人間がたくさん出てきて欲しい。」

 

これはプロフェッショナル仕事の流儀でしんかい6500が取り上げられた際に、研究者の高井研さんが仰っていた言葉です。

技術力の向上により、高性能な無人潜水船が台頭してきている昨今、

科学的成果の質や量だけを見るならばほぼ同等のパフォーマンスを無人潜水船は発揮しています。そんな中で、決して安くはないメンテナンスの手間、そして何より人命のリスクを背負ってまで有人潜水船で調査をする必要があるのか。

そういった背景があって発せられた言葉です。

 

筆者はこの言葉を聞いた時、とても感銘を受けたのと同時に、これはしんかい6500だけに言えることではないなと感じました。

「必要なものだけを残すと人間社会は良くなくて、必要じゃないものの必要性を感じる人間がたくさん出てきて欲しい。」

ではこの「必要なもの」とはなんぞやとなるのですが、ここでは生命活動に関わるものとしておきましょう。今のコロナ騒動でも度々話題になっている不要不急の線引きと似たようなものですね。

 

そうして考えてみると、世の中には必要のないものが溢れています。音楽やゲーム、ファッション...必要じゃないものを挙げたらキリがありません。

しかし、それらの必要のないものに多くの人たちが必要性を感じている結果、こうして世の中には必要のないものが溢れているのです。

 

そして私がこのブログで扱っている「水族館」も、先ほどの定義に当て嵌めたら当然必要のないものの一つになります(必要な側面もありますがそれは後述)。そのため、多くの人に水族館の必要性を感じてもらうためにはどういった施設であるべきなのかということは、水族館有識者や館長クラスの方がよく述べられています。

 

では水族館はどういった施設であるべきなのか。

まずは水族館(と動物園)にある4つの役割についてザッと見てみましょう。

1.種の保全

2.教育

3.調査・研究

4.レクリエーション

こうして言われてみればたしかに!と納得する方が多いかもしれません。逆にそんな役割あったんだと思った方もいるかと思います。

 

ただ、この役割について先ほどの「必要なもの」という定義を当て嵌めた時、種の保全と調査・研究に関しては必要なものに分類することができますが、教育とレクリエーションの2点に関しては必要のないものに分類できてしまいます。

つまり突き詰めたことを言ってしまえば、水族館は研究・調査、種の保全のために必要な地域だけに作り、一般人の来館を禁止したただの研究施設であればいいということです(もはや水族館ではないですが)。

 

しかし現実はそうではありません。

レクリエーションと言う役割に対して、多くの人がその必要性を感じているため、水族館はここまで数を増やし人気を博してきました。

その一方で、水族館の現状に不安を抱いている方たちは、レクリエーションと言う役割だけではいつかは飽きられてしまい、世間に必要のないものという烙印を押されることを危惧しています。

そのため昨今では残りの3点、中でも教育と言う役割に力を入れ、水族館の必要性を揺るぎないものにしようと努めている館が多く見受けられる気がします。

 

ちなみに必要なものである「種の保全」「調査・研究」という役割に関しては、時折ニュースなどでも見かける機会があるかと思いますが、水族館は昔からこれらの活動には積極的に取り組んでおりますし、その成果が充実した展示の実現や、漁業、養殖業と言った業界にフィードバックされて信頼を得ています。

 

こうしてみると、水族館は先ほどの有人潜水船の話に非常に寄せて考えることができます。

有人潜水船は4つの役割を持った来館者で賑わういわゆる今の水族館。

無人潜水船は2つの役割(種の保全、調査・研究)だけを持つ来館者のいない研究機関としての水族館。

 

科学的成果の質と量だけを追求するならば、水族館は100館近くも必要ないですし、来館者などいなくてもその成果を出すことができます。来館者用に館内を整備し、芸術的なアクリルやスタジアムなど導入しなければ多少の経費削減、人件費削減が可能です。

(水族館の経費においては大したものではないですが)

 

ただ、高井さんの言葉を借りるならば、そういったところ(科学的成果)ではない評価軸にこそ水族館(有人潜水船)の価値というものはあると思います。そしてそこに必要性を感じた方が多かったからこそ今の水族館があります。

しかし科学的成果ではない評価軸が果たしてレクリエーションと教育だけなのかと問われると違うような気もします。

その2点だけならば、しんかい6500に乗船した学生も話していたVRなどの疑似体験や、それこそ水槽内にARで生き物を再現するだけで教育、レクリエーションというは役割は十分果たせると思います。

これらの技術で代用するにはもう少し技術革新が必要だと思いますが、科学的成果以外の評価軸がこの2点だけなら、近い将来水族館は本物の生き物を展示する意義を失うと思います。

 

では本物の生き物を展示することの意義はなんなのか。

引用ばかりで申し訳ないのですが、これに関しては乗船した学生の意見に非常に納得してしまったので引用させていただきます。

 

乗船した学生の一人は有人潜水船はアイドル的存在として、または将来の海洋研究の原動力として残しておくべき。「しんかい6500」にはそういう力が十分に備わっていると述べていました。

しんかい6500に乗船して深海に行くのと、水族館で本物の生き物を見ることの間には筆者の想像もつかない差があると思いますが、将来の海洋研究、生物研究の原動力は、水族館で展示されている生きた生き物たちも孕んでいると思います。

 

また違う乗船学生が、有人潜水船に必要性はないが、存在意義は確かにあるのだと述べていました。

ここも同列に扱ってしまっておこがましいのですが、生きた生き物を展示する明確な必要性は何かと問われたら、はっきり答えられないのが筆者の正直な思いです。

もちろん現在の技術ではまだ代用可能ではないと思いますが、この先現実と見紛うほどのクオリティでVRやAR展示が可能になったならば、本物である必要性は〇〇だ!!と主張できないと思います。

ただ、この学生も述べているように本物である「意義」は確実にあると思います。そしてその意義は水族館に足を運んで、本物の生き物を見たあるいは触った人のみが感じとれるものだと思います。

 

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もしかしたらこういった気づきを与えてくれることが「教育」なのかもしれません。しかし「教育」という言葉に収めるにはあまりにもったいなく、そこに収まりきらない魅力や発見が水族館には確かにあると筆者は考えています。そして自分以外の多くの方にとっても水族館がそういう場所であると信じています。

 

突発的に書いたのでうまくまとめられませんでしたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

 

 

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